終活ブームに抵抗感がある人が結構いるはず。
だいたいこういうのは儲かるからブームにするわけです。なんでもね。
ただまあ終活自体は悪いものじゃありません。
しかし必要性は?というと、世間で言われている必要性はやや大げさです。
終活はやらないといけないのか?
その答えは、冷静に自分の身の回りを振り返り、今この瞬間自分が消えてなくなることを想像すればいいです。
家族が自分のことの何で困るのか?分かりそうにないか?
これで思いついたことをできるだけ処理しやすいようにする。それがなければ終活はいらないでしょう。
終活は自分の死後の取り扱いを簡単にすること
終活って言葉だけ先行しているので抵抗感が生まれやすいんじゃないですかね。
終活って結局なんやねん?というと、自分が亡くなった後に、自分に関することの取り扱いを簡単にすることです。
「不動産がたくさんある。嫁はノータッチだったし手続き関係でキィーッ!!ってなる。先に処分しておいたほうがいいな」
と思えば不動産の売却をします。これも終活。
「本好きで大量の本がある。邪魔、処分してほしいって以前から言われていたから自分の死後は捨てられるだろう。ただ価値がある本があるのを分かっていないだろう。売ってしまっていいから、買取価格のリストでも作っておこう」
と思えば、価値がある本のタイトルを箇条書きにでもして、買取業者はこういうところは避けろとか記しておきます。やはりこれも終活。
共通点は、自分の死後に、自分のこと、モノに関する手続きで身内が困らないようにしていることです。
終活なんて普段からやっていることと同じ
終活なんて大層な言葉で言うから抵抗感が生まれるんです。
結局、家族のために「先回りしてやってあげる」だけ。
ただタイミングは人生の終盤でやるだけ。
人生の終盤だから、今まで検討しなかった大きなこと、自分の死後を先回りして家族のためにやってあげる。
これが終活。
特に特別なことじゃありません。一切。
自分の死後、家族が困りそうなことはないか?ただそれだけ考えてみる
自分が今死んだ場合。家族は何が困るか?
ゴミ箱のゴミが部屋に残っている。
これは困りませんよね?迷わず捨てられます。
人が亡くなった後に訪れる最大の作業は「処分」です。
不動産を相続するのもある意味処分です。引き継ぐ場合もあれば相続後にすぐ売却することもよくあります。
なんにせよ、故人のものは名義を変えたり捨てたりする処分が必須。これが大変なんです。
自分が「これはゴミだ」「これは大事なものだ」と理解していても、家族がそれを理解しているとは限りません。
あなたの死後、あなたに関すること、モノの処分で家族が悩みそうなものはないか?
終活はひたすらそれを明らかにして、それから先回りして処分、もしくは処分方法を残すことです。
終活が全く不要な人もいる
以上のことから、終活は家族のために気を使った先回り行動、処分行為であると言えます。
では終活が必要かどうかですが、家族が悩みそうにないなら終活は不要ということになります。
そんな人がいるのか?
というと存在します。
例えば、普段から家族に対して「自分のことに関して最小限にまとめている」人です。
自分をできるだけ簡素化している人は終活が不要
家族でもお互いのことを本当に芯から理解し合っている間柄は少ないです。
ただ、お互いに理解し合っている……
というより、お互いを簡素化して捉え合っている間柄の家族はいます。
生前から死後に関しての観念をよく話しているパターン
普段から自分のこと、モノに関してを「最小限」に伝えている、理解されている人です。
- 実家はもう古いからあれはすぐ処分したほうがいいよ。別に先祖代々の土地でもないしね
- 自分が死んだらこの人には一応連絡しておいて。あとで知ったらそれはそれでまたあの人の性格だと後悔しそうだし
- 俺の部屋のものは現金以外たいしたものないからな!もし急にいなくなっても置いておくなよ?
といった、死後を意識した会話というのがあります。
どれも自分の死後に関して、自分というものをできるだけコンパクトにしています。
行動で性格が嫌というほど家族に理解されているパターン
これ以外にも、普段の行動や性格が家族によく伝わって自分というものが簡素化されている人も同じ。
- 性格が几帳面で興味がある、ないことが家族に嫌というほど伝わっている→興味がないものが捨てやすい
- 服が好きで一杯持っているけど大事なときに着る服、よく着ている服は限られている→それだけ残しておこうか。あとは処分しようか
- 葬式はしなくていいとか金かけるなとか言っているけど実は寂しがり屋で、昔の知り合いと電話したら結局長電話でご機嫌になる→ああは言ってるけど葬式はそれなりにやってあげよう
こんな風に、普段から「家族によく理解されている」人も、自分というものが簡素化して理解可能な状態になっています。
自分の死後、家族が「これ捨てたらどう思うだろう?」「大事な知り合いって誰がいるのか分からん……」など、故人のことで「知らないこと」が多いと困るんです。
逆に不安にならないくらい理解されているなら、終活しなくても家族は困らないんです。
最終的には家族の力量と性格を考えて終活が不要か考える
例えば、自分が死んだ後のことを普段から家族に細かく説明している人がいますよね?
これは自分のことを簡素化しているので終活が不要なように思えます。
ですが、葬式でも遺産相続でも遺品処分でも、誰がやるか?というと身内、家族です。
その作業の中心となる人の力量と性格よっては、生前伝えてきたことが全く役に立たないことがあります。
手続き全般、役所手続きが苦手
いくら自分のことを簡素化して家族に心配、手間がかからないようにしても、どうやっても人の死後は手続き関係が一斉にやってきます。
そういったことを処理できるかどうかは家族の力量次第です。
明らかに苦手な人いますよね?
不動産や銀行、証券会社に役所関係。そういった手続きが分からなくてアレルギーみたいに後回しにする人がいます。
そんな性格が分かっているなら、自分がいなくなっても家族がスムーズに作業できるように、やることを事前に減らしておくなり、作業手順を記しておいたり、頼るべき専門家や知り合いの連絡先を残しておく。
これも実は終活です。
家族のことを考えて先回りしてますよね。
心配性
いくら生前に自分のことを簡素化していても、いざ亡くなった後にいろいろ不安になって作業できない性格の人がいます。
あの人はああ言っていたけど本当はこうなんじゃないか……?
捨ててしまってバチは当たらないだろうか……
などなど。
この場合、自分の死後に自分の言葉でダメ押ししてあげる必要があります。
だからエンディングノートと呼ばれる終活資料を残しておくと家族が困らないで済みます。
能天気
性格が能天気で大事なことが大事だと気づかないタイプ。
こんな性格なら、この手続をいつまでにやらないと税金がたくさんかかるぞ!など「脅し」を伝えておくと自分の死後に作業に動いてくれやすくなります。
後で大騒ぎになって、「なんでお父さんちゃんと言っておいてくれなかったの!?」とか自分が死んだ後で怒られる未来があるかも。
終活するかどうかより自分の死後に家族が困りそうなことを減らそう
市販のエンディングノートで用意されている項目は、亡くなった本人しか知らないことを書いておくようになっています。
それってつまり、家族が手続きなどで困らないように、という配慮の結果です。
終活という言葉だけが先行しがちですが、自分の死後に自分の家族がどう困るかどうかはその家庭次第。
みんなマチマチです。
自分の死後、あいつは、あの人はこんなこと困りそう、ボヤきそう、手続き放置しそう、これ知らないだろうな~、といったことを先回りして処理、または処分しやすいように情報を記したりする。
これでいいんじゃないですか?
終活するべきかどうかより、終活は誰のために何をやるものなのか?
その本質が分かっていれば、終活という単語は無視してやるべきことをやっておけばもうそれでO.K.でしょう。