終活ブーム?みたいですが、遺された家族からしたら迷惑な終活もあります。
死んでしまったら後は分からないので気づきません。
終活している段階で息子や娘、妻や夫に相談しながらやる人は少ないです。だから途中でクレームを挟まれることもない。
間違ったまま死んで終了です。
自分が亡くなった後に、家族に迷惑をかけない終活をするにはどうすればいいのか?
ルールはたった1つ。
これさえ守ればおかしなことになりません。
終活の主役は誰か?
終活って誰のためにやるのか?
ここを履き違えている人が多い。
- 終活はいつ効果を発揮するのか?
- 効果が出た終活は誰に影響を与えるのか?
こう考えると明白。
終活は死後の家族が主役
終活が効果を発揮するのは本人が亡くなってからです。
そこから遺産の整理や各種手続きがいろいろ出てきます。
あなたの終活は「家族の手間と不安が解消される」内容ですか?
TVや雑誌の言うままに始めた終活は主役がいない
終活したほうがいい。
そんなノリで始める人が多いようです。
TVや雑誌なので終活のすすめをよく見ます。
しかし、この場合の終活に至った動機は間違っているかもしれません。
- 家族に迷惑をかけたくない
- 自分の死後に家族を困らせたくない
というのが終活です。
身寄りがない人は、施設だったり友達や知り合いの人が対象でしょう。
どっちにしても、自分の死後に何かしらで関わる人に対して行うのが終活です。
でもTVや雑誌の言うがままに始めた終活は、相手のこと、つまり死後に関わってくれる人の顔を浮かべずに勧めてしまう可能性があります。
となると、主役がいない終活になってしまいます。
主役がいない終活は嫌がられるプレゼントと同じ
プレゼントって相手が喜ぶものですよね?
でも相手のことを考えずに贈ったプレゼントは喜ばれるでしょうか?
「これいいんだよ!あいつ喜ぶだろ?」
というのは、一見相手のことを考えているようですが、実際のところは「自分がいいと思うものは相手も喜ぶ」という思い込みとエゴで占められています。
たとえ現金をプレゼントするにしても、そんな現金もらっても後が怖いとか、相手によっては困惑することもあるんです。
終活も同じ。
こうすれば家族に迷惑がかからないらしい、と実際の自分の家族の性格や現状などを考えずに行った終活は、いざ効果を発揮する死後に家族が「なんで親父(おふくろ)はこんなことしたんだ……」と困惑する可能性大なんです。
死後に関わる人の性格と現状をよく考えて終活する
男性なら奥さんの家事を助けようと台所に立った。
でも後で奥さんに怒られるケースありますよね。
「邪魔!」
「あの調味料はここに置いているんだから動かさないで!」
などなど。
手伝うという行為自体は相手のためになるものですが、相手が求めている内容じゃなければ逆効果。
大雑把な性格や几帳面な性格かでも、手伝っていいことと避けるべきことがあります。
また料理をする奥さんの場合、台所が奥さんのテリトリーです。
そこに「手伝えば喜ぶだろう」という相手の現状を考えないお手伝いはただの「侵入行為」です。
相手の現状を考えないと良いことも悪くなります。
終活もまさしくそう。
自分の死後に遺されるのが、夫・妻、子供だとするなら、その人達が関わる内容をよく考えて、その人達の負担と不安が減るように終活しないといけません。
手続きや書類が苦手な家族には死後に必要な手順を
人が亡くなると葬式のほか役所や銀行、携帯やアマゾンプライムみたいな有料課金サービスの解約などいろいろな手続きが発生します。
銀行口座や契約しているサービスをノートに記すだけで十分助かる終活です。
ただ、手続きや書類関係が超絶苦手な人っていますよね。家族にそんな人がいるならもう一歩手間をかけましょう。
この手続はまずここに連絡する。書類の書き方は息子に聞けばいい。もしダメなら、お金がかかるけどこういう専門家に依頼できる。金額はこれくらい。それくらいなら出したほうが楽だから遠慮せずに依頼すること。
みたいな感じで、ただ必要な手続きの題目だけでなく、何をどうしたらいいのか手順を、もしくは誰に頼るべきなのかを明記しておきます。
これだけでもかなり助かります。
これって相手の、終活の本当の主役を考えてのことですよね。
モノを捨てられないタイプなら大事にしていたものとそうでないものを区別しておく
モノを溜め込んでしまう性格の人が遺品整理をする場合、なかなか捨てられなくて何もかも置いてしまう可能性があります。
特に家族の遺品は捨ててしまっていいのか心が痛くなって作業が進みにくい。
生きているときなら「これいる?」と聞けますがもう聞けません。
答えがないのでいつまでも溜め込んでしまい、ひどいと部屋1つが丸ごとモノで占拠。いつまでも家族の死がモノの圧迫感という形でのしかかります。
「全部捨てて構わない」
というのも酷です。
「これは一番苦労したときに買ったやつで大事にしていた」
「他のは特に価値もないし特別な思い出もない」
など、例えば趣味のグッズでもそうやって区別されていたら家族は処分が楽です。
結局は家族が処分するときの踏ん切り、気持ちがつくようにしてあげるのが終活の一つです。
自分がいなかったら、これはあいつが困るだろうな?こう聞かれるだろうな……を考えてみる
不動産でも盆栽などの趣味のモノでも、自分がいなかった家族は扱いに困るかどうか?どうしたらいいの?と聞いてくるかどうか?と想像してみてください。
歳取るといい加減というか危機感が薄れるところもあるため、
「まあなんとかなるだろ」
と問題を放置しがち。
ただ終活の主役は自分以外の家族や死後に関係してくれる人たちのためにやるものです。
不動産の名義変更が必要な場合、何をどうしたらいいか分からない人は最悪放置してしまいます。
家族が手続きできそうか?もし今必要ならどんなことを聞かれるだろうか?
できそうにないなら、司法書士の知り合いがいるからここに連絡したら良いよとか、法務局にこの書類持って相談に行くといいとか、何かしらどう行動したら良いかを記しておいてあげるのが親切。
いい終活は結局のところ家族仲次第
親子でも夫婦でも考えや認識は違うものです。
自分がそうだと思っていても本人はそう思っていなかったり。そんなことで揉めたりが家族間であったと思います。
こういった個人間のズレは会話や意思疎通を重ねて、お互いのズレを自然に修正する間柄でしかうまくいきません。
つまり家族仲。家族間のコミュニケーションです。
無口で会話をしない夫婦でも、話さないけどお互いの行動を通して分かっているケースがあります。必ずしも会話の多さが家族仲を決めません。
みんな各家庭それぞれ。
ただ家族仲、どんな形であれ家族間、夫婦間のコミュニケーションが構築されているかどうか?
ここで終活の良し悪しが決まります。
家族仲がちゃんと確立されていれば、相手のことを考えた終活ができますよね?自然と。
終活にこだわるな!家族間の意思疎通を深めたほうが誰も困らない
つまり家族仲がいいというか、お互いに意思疎通ができていたら終活しなくても自分の死後に家族が困る可能性は減ります。
「まあお父さんあんな性格だからこれは処分でいいよね」
「そうだね。たぶん早く捨てろってもうあの世で文句言ってるよ」
みたいに遺された家族間で共通認識ができています。
だったら終活どころか遺言書がなくても揉めないんです。
終活は悪く言うと家族間の意思疎通ができなかった分の埋め合わせ
遺言だってなくても揉めない家庭がたくさんあります。むしろ遺言を書いて逆に揉めたケースがあるくらい。
なんか儲かるせいか遺言書を書きましょうって流れになってますけどね。
結局のところ、家族間の意思疎通が構築されていないから、その代わりとなる「何か」がないと共通認識が生まれないから揉めるんです。
終活にこだわる前に、できるなら家族間の思いを深めたほうが幸せな生前と死後が手に入るでしょう。
立派な終活をしても、死後に「そうだったんだ。ここまで考えててくれたんだ」と思われるだけ。それもいいですが、それなら生前にそう理解してほしいものです。
どうしても生前に埋められそうになり部分を終活で補う。というのが正解じゃないでしょうか。